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AI関連

AI関連

2026-08-10更新

AIが作ったデザインは、なぜこんなにも「目が滑る」のか。

AIデザインは目がすべる

最近、Xを見ていると生成AIを使ったデザインの投稿がとにかく増えた。

「AIだけでここまで作れた」
「もうデザイナーいらないのでは?」
「数分でWebデザイン完成」

そんな投稿が毎日のように流れてくる。

確かに、すごい。

少し前までならPhotoshopやIllustrator、Figmaをそれなりに使いこなせないと作れなかったようなビジュアルが、今では日本語で指示するだけでポンと出てくる。

技術の進歩としては、本当にすごいと思う。

ただ、その一方で僕は、AIで生成されたデザインを見ていると、どうにもこうにも「目が滑る」。

綺麗なんだけど、見ていられない。

今回は、そんな話です。

「下手」ではない。むしろ綺麗。

最初に言っておきたいのは、AIが作るデザインは決して「下手」ではないということ。
むしろ上手い。
タイポグラフィ、写真配置、グラデーション、巨大な英字、ガラスっぽいUI、3Dオブジェクト、絶妙にぼかされた光、カードレイアウト。
一瞬見たときの「おお、カッコいい」は普通にある。
だからこそ不思議なのだ。

こんなに綺麗なのに、なぜか見ていたくならない。

この感覚にもっともしっくりくる言語化を、
Xの投稿でみかけた。

「目がすべる」だ。

たぶん、「理由」がない。

AIデザインを大量に見ていて感じるのは、

「なぜそうなっているのか」が見えてこない

ということだ。

なぜ、この文字が一番大きいのか。
なぜ、この写真なのか。
なぜ、この場所にボタンがあるのか。
なぜ、この情報を最初に見せるのか。
なぜ、この色なのか。
なぜ、この余白なのか。

優れたデザインには、程度の差はあれど「理由」がある。

Webサイトなら、誰が見るのか。
その人は何を知りたいのか。
企業側は何を伝えたいのか。
競合と比べて何が強みなのか。
ユーザーに最終的にどんな行動をしてほしいのか。

そういったものを整理した結果として、画面が出来上がっていく。
ところが生成AIは、とにかく「それっぽい答え」を作るのが抜群に上手い

その結果、

「ものすごく完成度の高い、それっぽい何か」

が大量に生まれる。

これが、僕が感じている「目が滑る」の正体なんじゃないかと思っている。

AIによって民主化されたのは、「デザイン」なのか。

最近よく、「AIによってデザインが民主化された」という言葉を目にする。
僕はこれには、半分賛成で半分反対だ。
確かに、今までデザインソフトを触れなかった人でも、AIを使えばかなり高度なビジュアルを作れるようになった。

これは間違いなく革命だと思う。ただ、もう少し正確に言うなら、

AIによって民主化されたのは「デザイン」ではなく、「デザインの表層を作る能力」なのではないか。

と思っている。
ここには、結構大きな違いがある。

「作れる」と「デザインできる」は、だいぶ違う。

たとえばAIに、「高級感のある不動産会社のWebサイトを作って」と頼む。

おそらく数分後には、結構カッコいいものが出てくる。

黒。
ゴールド。
高級マンション。
大きな明朝体。
英語のキャッチコピー。
それなりに高級そうだ。

でも実際のWebデザインの仕事では、その前に考えることが山ほどある。

この会社のお客さんは誰なのか。
不動産を「買いたい人」なのか「売りたい人」なのか。
投資家なのか。
物件オーナーなのか。
地域密着なのか。
富裕層向けなのか。
問い合わせのハードルは高いのか低いのか。
そもそも「高級感」を出すことが正解なのか。

そういうことを一つひとつ考えていく。

そして、場合によっては、「黒とゴールドなんか使わないほうがいい」

という結論になる。
ここにデザインの面白さがあると思っている。

AIデザインを絶賛する人を見ていて思うこと。

これは少し意地悪な話になる。

AIデザインを見て、

「ヤバい」
「もうデザイナーいらない」
「これが数分で作れる時代」

と興奮している人を見ていると、

もしかするとその人が驚いているのは「デザイン」そのものではなく、

今まで自分には作れなかった“デザインっぽいもの”を、自分でも作れるようになったこと

なのではないか、と感じることがある。

もちろん、AIを推している人にデザイン能力がない、と言いたいわけではない。

優れたデザイナーでAIを積極的に使っている人もたくさんいる。
むしろ、そういう人がAIを使うと恐ろしく強い。
なぜなら、

AIが出してきた100案の中から、「99案を捨てられる」からだ。

ここが重要だと思う。

AI時代に重要になるのは、「作る力」より「捨てる力」かもしれない。

生成AIは、いくらでも案を出してくれる。
10案でも100案でも1000案でもいい。
疲れないし、文句も言わない。
これまでデザイナーが何時間もかけていた「案を作る」という行為のコストは、確実に下がっていくだろう。

では、デザイナーの価値も一緒に下がるのか。
僕は、必ずしもそうではないと思っている。
むしろこれから重要になるのは、

「何を作れるか」ではなく、「何を選ぶか」。

もっと言えば、

「何を捨てるか」。

なのかもしれない。

AIが100案出してくる。
その中から、

「これは違う」
「これも違う」
「綺麗だけど、この会社らしくない」
「こっちはユーザーが迷う」
「この写真は強すぎる」
「ここまで説明しなくていい」

と削っていく。

最後に残ったものに、
「なぜこれなのか」
を説明できる。

これはプロンプトを書く能力とは少し違う。
経験や知識、観察力、審美眼みたいなものが必要になる。

70〜80点のデザインが、世界中に溢れる。

生成AIがさらに進化すれば、平均的なデザインのクオリティはものすごく上がると思う。
街の小さなお店でも、個人事業主でも、学生でも、一定水準以上のビジュアルを簡単に作れる。
これは間違いなく良いことだ。

ただ同時に、

70〜80点くらいの「綺麗なデザイン」が世界中に溢れる

ということでもある。

そして、すでに少し始まっている気がする。

綺麗。
整っている。
今っぽい。
でも、どこかで見た。
そして次の瞬間には忘れている。

AIが平均点を猛烈に押し上げれば押し上げるほど、「上手に作ること」そのものの希少価値は下がっていく。

その代わりに価値が上がるのは、何を載せないかを決める力。
情報を整理する力。
その企業にしかないものを見つける力。
良いコピーを書く力。
写真を選ぶ力。
ユーザーの気持ちを想像する力。
ブランドの人格を作る力。

つまり、編集する力、判断する力。
なのではないかと思う。

「デザイナーがいらなくなる」のではなく、「デザイナーとは何か」が変わる。

僕自身、生成AIはかなり使っている。
便利だし、これからもっと使うと思う。
だからAIそのものを否定するつもりは全くない。

ただ、「AIで綺麗なWebサイトが作れるようになった」ということと、「AIがデザインできるようになった」ということは、少し分けて考えたほうがいいと思っている。

Webデザイナーの仕事は、Figmaで綺麗な画面を作ることだけではない。

クライアントの話を聞く。
事業を理解する。
本人たちも気付いていない強みを見つける。
情報を整理する。
優先順位を決める。
言葉を考える。
写真を選ぶ。
ユーザーの行動を想像する。
そして最後に、それらを画面に落とし込む。

生成AIが猛烈な勢いで進化しているのは、この最後の「画面に落とし込む」という部分なのだと思う。
もちろん、AIが担うのは「画面に落とし込む」部分だけではない。
すでにターゲット設定や情報設計、コピーライティングまでAIは普通にやってくれる。

では、それでデザインの上流工程までAIに置き換わったのかというと、僕は少し違うと思っている。

AIが提案したターゲット設定は、本当にこの会社に合っているのか。
この情報設計で、本当にユーザーに伝わるのか。
このコピーは、本当にこの会社の言葉なのか。
結局最後には、「それでいい」と判断する人が必要になる。
AIができることが増えれば増えるほど、作る能力よりも「判断する能力」の重要性が上がっていく。

AI時代、デザイナーに残るもの。

もしかすると数年後、「綺麗なデザインが作れます」という能力には、ほとんど価値がなくなっているかもしれない。
それは普通にあり得ると思っている。

でも、それならそれで面白い。
デザイナーという仕事から「作業」がどんどん剥がされていって、最後に何が残るのか。

企画なのか。
編集なのか。
言葉なのか。
審美眼なのか。
コミュニケーションなのか。
あるいは、その全部なのか。

AIデザインを見て「目が滑るなあ」と感じながらXをスクロールしていると、そんなことを考える。

そして今のところ僕は、

AIによってデザインが簡単になったというより、
「デザインとは何なのか」が、むしろハッキリしてきた。

そんなふうに感じている。

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投稿者プロフィール

原田一真
原田一真
Webデザイナー / ディレクター / コーダー(マークアップエンジニア)
アスタワークス代表の原田です。
あなたのお仕事のお役に立てれば幸いです。